2025-07-18
爽やかな朝。自然と目が覚めました。
時刻はまだ5時。少し散歩をして、6時半から朝のお勤め。
穏やかな空気に包まれながら、静かに一日が始まっていきます。
お勤めの後、先生との雑談の中で──
「昔の日本では誕生日を祝わなかったな」と話されていました。
その背景には、やはり仏教の影響があったのだろう、とも。
「誕」という字を眺めてみると、
その意味が静かに浮かび上がってきます。
この文字にはもともと、
「誇張」「虚偽」「でたらめ」といった意味があるとされ、
いわば、“真実ではない世界”の始まりを示す字だといわれています。
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娑婆──この現実世界。
サンスクリット語では「サハー」、すなわち「耐え忍ぶ世界」と訳されます。
煩悩と迷いに満ちた「此岸」のこの場所は、
とらわれの自分が歩み出す場でもあると、仏教では説かれています。
そんな世界に、僕もまた生まれてきて、
今日も目を覚まし、息をしています。
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先生の話は、続きます。
そんな世ではあるけれども、
仏教では、「人間として生まれてきたこと」に、
大きな意味があると説かれます。
いのちの究極の目的は、苦しみからの解脱──
すなわち、悟りの境地に至ること。
そのためには、
娑婆に生まれ、人間として「今」を生きていること自体が、
かけがえのないご縁なのだといいます。
もし私たちが「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」の世界に生まれていたならば、
その苦しみのあまり、仏さまの教えに耳を傾ける余裕など持てなかったでしょう。
また、たとえ「天界」に生まれていたとしても、
快楽や楽しみに心を奪われ、
やはり仏法に向き合おうとする気持ちは起こりにくいともいわれています。
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誕生日は、「とらわれの自分」が歩き始めた日であり、
「本当の目的」に出会わせていただく──
そんな旅のはじまりでもあるのですね。
また、ありがたい新しい一日が始まりました。
今日は、僕の誕生日です。
── にしゃんた
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