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Messageメッセージ

みんなが“ちがう”から楽しい。みんなが“ちがう”からはじめよう。

世界中の大小にかかわらず、どんな場所であっても、重要な課題の一つは、そこにある“ちがい”同士が正しくかかわり合うことです。これは少しカタイ言葉でいうと、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包含・包摂)、国際理解・多文化共生、平和・人権やSDGsなどということになります。

私たち一人ひとりが、唯一無二の存在です。命が宿った時から今この瞬間に至るまでの間、たくさんの経験がかけ合わさって、それぞれみんな、顔が違うと同じように、“ちがう”人間なのです。さらには、わたしたちを取り巻く自然環境も人工環境も、昨日と今日ではちがいます。つまり私たち一人ひとりの周りには、“ちがい”しかないということになります。そんな“ちがい”しかない世の中で、私たちが今までもそうだったように、これからも生き、生かされることになります。

今までは見落としたり、気にとめなかったかもしれない “ちがい”を大いに意識して、大切にしながら生きる時代にきています。偶然の幸運を意味する“セレンディピティ”という言葉があります。まさに“ちがい”を“セレンディピティ”にしながら生きていくことが求められています。

手を伸ばして“ちがい”を楽しもう。
“ちがい”を豊かさにかえよう。
〜国際理解・多文化共生〜

手を伸ばして“ちがい”を楽しもう。“ちがい”を豊かさにかえよう。

私たちは、“ちがい”に囲まれて生きているのだから、“ちがい”を楽しみながら、成長しながら前進することが、正しい生き方ということになります。では、実際にはどうでしょうか。私は、自分の講演会などで、「“ちがい”と聞いて良いことと、悪いことのどちらを連想するか」と質問することがあります。みなさんはどうですか?私の経験では「悪いことを連想する」と答える方が圧倒的に多いのです。

私たちの周りは “ちがい”しかないにもかかわらず、無意識に “ちがい”を敬遠しているのではないでしょうか。悪気はなくても、無意識に“ちがい”を敬遠するその延長線上で、“ちがい”を警戒したり、怖がったり、嫌ったり、軽視したり、無視したり、アレルギー反応を起こしたりします。さらには無関心になったり、差別や区別したり、非難したり、“ちがい”をめぐって争ったり、殺し合ったりして、相手を、自分や周りまでも傷つけているのです。ですので “ちがい”を敬遠した先にはよい結果を期待できないのです。それよりもせっかくの“ちがい”との出会いを敬遠するようではもったいないのです。”ちがい“を意識的に取り入れて楽しんで成長したいものです。

手を伸ばして“ちがい”を楽しもう。“ちがい”を豊かさにかえよう。

私たちは、“ちがい”に囲まれて生きているのだから、“ちがい”を楽しみながら、成長しながら前進することが、正しい生き方ということになります。では、実際にはどうでしょうか。私は、自分の講演会などで、「“ちがい”と聞いて良いことと、悪いことのどちらを連想するか」と質問することがあります。みなさんはどうですか?私の経験では「悪いことを連想する」と答える方が圧倒的に多いのです。

私たちの周りは “ちがい”しかないにもかかわらず、無意識に “ちがい”を敬遠しているのではないでしょうか。悪気はなくても、無意識に“ちがい”を敬遠するその延長線上で、“ちがい”を警戒したり、怖がったり、嫌ったり、軽視したり、無視したり、アレルギー反応を起こしたりします。さらには無関心になったり、差別や区別したり、非難したり、“ちがい”をめぐって争ったり、殺し合ったりして、相手を、自分や周りまでも傷つけているのです。ですので “ちがい”を敬遠した先にはよい結果を期待できないのです。それよりもせっかくの“ちがい”との出会いを敬遠するようではもったいないのです。”ちがい“を意識的に取り入れて楽しんで成長したいものです。

私にあるもの、あなたにあるもの。
“ちがい”が生む新しい“ちから”。
〜 SDGs(持続可能な開発目標)〜

私にあるもの、あなたにあるもの。“ちがい”が生む新しい“ちから”。

世の中で起きている“良いこと”と“よくないこと”について、 “ちがい”との関わりの因果関係を使って説明できます。過去や現状だけではなく、将来についても“ちがい”との関わりを元に予想することもできます。

“共生”という言葉があります。よい言葉ですが、いやおうなく私たちは“ちがい”と共生していることに気づく必要があります。ただ“共に生きる”だけでは、十分ではないのです。“ちがい”との共生を自然に任せると、数の論理などの力学にさらされ、良い結果をもたらさないのです。世界で起きている戦争、環境問題、営業不振から夫婦喧嘩まで、さらには全ての社会悪は、“ちがい”とのかかわりを自然に任せた結果なのです。

共生を自然に任せないで理想的な共生をもとめることが大事なのです。“ちがい”同士が、共に楽しみ(共楽)、共に学び(共学)、共に成長し(共育)、共に活き活かされ(共活)、共に笑う(共笑)必要があります。“共笑”。私の造語ですが、“ともえ”と読みます。共笑の追求は、一人ひとりがもちろん、どんな組織も、社会や国家などあらゆる空間の永遠の平和、持続可能性、そして発展を求めるための唯一無二の方法であるといえます。

“ちがう”からこそ、心を通わせる。
その一歩が未来につながる。
~人権・平和~

“ちがう”からこそ、心を通わせる。その一歩が未来につながる。~人権・平和~

21世紀は「人権の世紀」といわれます。“共笑“を考える上で人権は大切な柱なのです。1948年に採択さた「世界人権宣言」ですが、70年が経って“人権”も進化する時期にきていると考えます。

今まで、ほとんどの人にとって、人権は他者のためで、自分には関係がない、となっていたと感じます。例えば、私の人権講演会に来て下さる方は、外国人のために役に立ちたいとの尊い思いはあっても、自分にとってのメリットなどは念頭にないのです。相手や他者のためだけという気持ちが、人権の取り組みに対して社会の多数派の腰を重くさせていると推測します。

世界的にも日本ほど丁寧に人権啓発に取り組む国はありません。今までの基本的人権を軸とした活動を続けましょう。でもそこに留まらず、人権は他者のためだけではなく、自分のためでもあるという発想を取り入れましょう。

自分がもっていない “ちがい”を知り、束ねることで、強く、やさしく、しなやかに、美しく、豊かになるための「自分の権利」がまさに新しい時代の人権の定義なのです。そうなると、人権も手前よし、相手よし、世間よしの「三方よし」が整い、本当の意味で持続可能な“共笑な人権”として進化するのです。

にしゃんた

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