2018-01-18
私の使命・私の志
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強くて朗らかな、
共に笑える世にすること!
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私は、その実現をめざす
存在でありたい。
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自分とは「立場の違う人」はもちろん、
世の中のさまざまな「違い」、そして「変化」
一言でいうと「ちがい」と正しく向き合うことは
日本や世界の大小にかかわらず、あらゆる空間における
最優先的課題であります。
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“ちがいを知り、思いやりをもって、ちがいと正しく生きること”。
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少し肩苦しい言葉で言うと、
「多様性」と「包摂」ということになります。
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わたしは、親日国セイロン(現在のスリランカ)で産み落とされ
母国と日本の二つの国で育てられました。
中でも大半の人生をこの日本で過ごしてきました。
日本で骨を埋めるつもりでいる者としても
この国への報恩のためにも
私が教えて頂ただいたことを生かし
社会に対しての精一杯の還元をしたいと願っております。
中でも、皆さんと最も共有したいメッセージがあります。
ごく当たり前のことです。簡単なことでもあるのです。
だけど最も大切なことなのです。
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私たちは、それぞれ顔が違うのと同じように一人一人がちがい、
自然界、そしてテクノロジーなどを含め、我々を取り巻く環境、常識、何もかもが
絶えず、特に近年になって猛スピードで変化し、ちがいも露呈しやすくなってきております。
私たちの周りは、多様性と変化に満ちています
極論すれば、我々の周りには「ちがい」しかないのです。
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そんな“ちがい”や新しい出会いの中で
私たちが日々生き、生かされています。
私たちがいかに生きるか試されています。
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今までは見落とし、疎かにしていたかもしれない
これらの違い・出会いを大いに意識し
一段と大切にすることが必要な時代に わたしたちが生きています。
ちょっとした違いとの出会いも「セレンディピティ(偶然の幸運)」
にかえることが求められるそんな時代に私たちが生きているのです。
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私たちは、実際のところ、
「ちがい」と聞いて
マイナスのことばかりを
連想してはいないか。
悪気はないにしろ、「ちがい」を嫌い、怖がり、警戒して、軽視し、無視し、
アレルギー反応を起こし、棲み分けし、差別・区別し、
同化し、排斥し、非難し、違いを巡って争い、関係を絶ち、殺し合い・・・
相手と自分や周りを傷つけてはいないか。
近江商人に由来する「三方良し」という言葉はあるが、
今のままでは、その真反対の「三方悪しき」ということになります。
これは“ちがい”との向き合い方において最も意識的に避けなくてはならない組み合わせでもあります。
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自分との“ちがい”や新しい価値観を敬遠するようではあまりにも
「もったいなく」ましてや「芳しくもない」。
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ならば・・・
何のために自分との“ちがい”や新しい価値観があり、
それらに気づく必要があるのか。
そして
「“ちがい”しかない世の中」での「正しい生き方」とは何か!?
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“ちがい”は、知り、前向きに関わるために存在しているのです。
“ちがい”は受け入れ、その都度、新しい自分をつくるために存在しているのです。
絶えず、新しい自分に「変身」するため、「アッップデート」するため、「進化」、「イノベーション」を起こすためにあるのです。
そのことがわたしたちに生きる力(免疫力、応用力、順応力)を心身につけてくれます。
生きる選択肢を増やし、真の強さ、やさしさ、しなやかさ、美しさ、豊かさ、
持続可能性、平和、そして安全安心と幸せをもたらせてくれるのです。
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世のなかで発生している全て、望ましい事、望ましくない事、
ありとあらゆる空間に起きている、ありとあらゆる現象について
「“ちがい”とのかかわりの因果関係」を使って説明することは出来ます。
過去や現状についてはもちろん、これからの未来についても「“ちがい”との関わり」を元に、予想することもできます。
「“ちがい”しかない」こと、「あってはならない“ちがい”」と「なくてはならない“ちがい”」があることに気づき、「“ちがい”との上手な対話」が求められているのです。
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さて、どこからスタートしましょうか。
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まずは“ちがい”「変化」や「未知」を知ることです。
“ちがい”しかないことを意識的に、敏感に感じとること。
“ちがい”を知ったからには、好奇心、真心と敬意をもって、大いに「関わる」ことにはじまり、
“ちがい”を大いに楽しみ、
“ちがい”から大いに学び、
“ちがい”の中で大いに成長し
あらゆる「“ちがい”(多様性・変化)を
豊かに束ね、力に変え、共に笑う。
私たちは生きている今、
正に「“ちがい”と正しく関わり」「共笑」を追求すべく時代」なのです。
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共生という言葉がありますが、ただ共に生きるだけでは不十分です。
自然に任せていては理想的な共生は実現しない。
力学の中で現状の共生は、大にしてむしろ、
同化であったり、住み分けであったりします。
下手したら排斥、排除、無視、シカトも共生の内となっています。
それが現実なのです。
つまり共生を自然に任せてはならない。
ただの共生に任せることなくより細かく共生の形を追求する必要があります。
共 学 ・・・(共に学び)
共 楽 ・・・(共に楽しみ)
共 育 ・・・(共に成長し)
共 活 ・・・(共に活き、活かされ)
共 笑 ・・・(共に笑う)
必要があります。
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「共笑」(「ともえ」と読みます)の発想は、“共笑の追求”は、
ダイバーシティー&インクルージョン(多様性と包摂)は、個人、企業、社会や国家などあらゆる空間の平和、持続可能性、そして発展を求めるに際して唯一無二の方法となります。
さらには、社会悪、つまり社会の矛盾から発生している「貧困」「格差」「犯罪」「買春」「テロ」などの私たちの周りの多くの課題や社会問題をいかに解消すべきかということについて、さらには「既に始まっている未来」とどのように向き合うのかと考えるに際して取り入れる必要があります。
政治なら「国民の小さな声」や「時代の変化」を、例えば“票”に繋がらないからなどの理由で放置することなく、排除、無視、シカトすることなく、都合の良い解釈をすることなく、知っているだけにしておくことなく正面から受け入れ向き合う必要があります。
それこそ、政治家の最大の使命は、
“共笑な国”、”共笑な世の実現”ということになります。
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繰り返しになるが、
“共笑”の発想は、
「子育て」「教育、人づくり」「組織作り」「まちづくり」「国づくり」などなど、全ての分野や空間の礎にする必要があり、「個人」はもちろん「家庭」、「組織」、「地域社会」や「国」などの、、、ありとあらゆる空間における「平和」、「発展」、「持続可能性」及び「進化」を求め、確保するための最も重視すべき普遍的な概念であり、、、
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このことは・・・
「永遠の真理」なのです。
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“共笑”な日本の“新” 時代」
の実現に貢献すること、それが私の使命だと考えております。
私はそのような素敵な社会の実現のための
「メッセンジャー」で、実現を目指すものでありたい。
・・・そう強くて願っております。
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この発想での活動は、
多様性の軽視や、
多数派本位が基因となり、
母国で長く続いた戦争で
若くして命を落とした
私の多くの友達や同年代の仲間への
せめてもの弔いになればとも
思っています。
日本は今後とも間違いなく
多様化が進む一方であるが・・・
この社会では「“ちがい”による争い」などは
絶対に起こしてはならないと
強く願っています。
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実は、日本の人々は
違いを謳歌し、力に変える能力に関して、
世界でみても類を見ないほど非常に長けています。
言わば「日本のお家芸」なのです。
その点、“共笑”な時代つくり、
“共笑な日本”の実現は、
正に日本人らしさ、日本人の素晴らしさの
再確認、再発見でもあるのです。
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現時点において、
ご縁を頂いでいる教育の現場、講演会、落語会、テレビ・ラジオ出演、活字、社会活動、お祈りの場、そして日常の交流を通して、
さらにはこれから新たに生ずるご縁の中においても、
一貫して、
皆さんとともに、
より素敵な世にしていくためにも
“日本が世界一”であり続けるためにも、
今後とも真摯に日々努力してまいります。
ご指導ご鞭撻のほどどうぞよろしくお願い致します。
いつも有難うございます。
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にしゃんた拝 (2008年夏)